京田辺市70代男性 バカラのグラス お買取りさせていただきました!!!
ご覧いただきありがとうございます。
林業がさかんなシュバルツヴァルト(ドイツ語で黒い森)、
おたからや大住ケ丘店 赤松です。
朝晩が涼しくなって、着る物にも悩むようになってきましたね。
風邪をひきやすくなっている時期なので、どうかお体には気を付けてくださいね。
それでは本日もお買取りさせていただいた商品をご紹介しますね!
今日のお品物は、バカラのグラスです!!
記念で頂いたり、贈り物としても喜ばれることで有名なバカラ。
バカラが誕生する18世紀は、ヨーロッパでは産業革命・医療の進歩・芸術の発展・啓蒙思想など
市民社会が大きく変化しており、歴史的に有名な戦争も多々あった時代。
フランスは領土獲得の為、イギリスとの度重なる戦争のため財政難に苦しんでいました。
経済復興のため、ロレーヌ地方の司教 モンモランシー・ラバルは、ルイ15世に、
バカラ村にガラス工場の設立を懇願しました。
当時のフランスは7年戦争後。街を再建しようとしても、
富裕層がボヘミアガラスを大量に輸入しており、資金が外国に流れていました。
そしてフランスは産業がなく、ガラス産業でもチェコ・イタリアなどから遅れをとっていました。
バカラ村があるロレーヌ地方は、ガラスの主要な原料である珪砂(けいさ)や
林業がさかんなシュバルツヴァルト(ドイツ語で黒い森)、
ミネラルウォーターの産地でもあるヴォージュ山脈から近いため、
ガラス製造にはうってつけだったのです。
1764年にガラス工場を設立した当初は、ガラスの瓶や窓などを製作していました。
しかし、1789年~1795年にかけてフランス革命が勃発。
それによりバカラも一時閉店となります。
その後、1816年に初めてクリスタルの製造を開始。一時的なサンルイとの合併により
クリスタル製造の技法を学び、1800年代中盤まで合併・提携を続けましたが、
1860年に「バカラ」の商標を登録し、独自の歩みを始めます。
1855年に開かれた、パリ万国博覧会でグランプリを獲得し、バカラのブランド価値は一気に高まり、
1867年・1878年に開催されたパリ万博でもグランプリを受賞した事でバカラは大きく飛躍しました。
実は、1867年・1878年に開催されたパリ万博では、日本の幕府(1868年は江戸幕府末期)・
薩摩藩・佐賀藩からも出品し、日本の作品もグランプリを獲得しています。
これによって、世界各国では日本の美術を模した作品が多く生まれました。
オールドバカラにも日本に影響を受けた作品が出品されています。
今でも高い技術力を維持し、現在も20数名M.O.F(日本でいう人間国宝)が在籍しているバカラ。
職人技を長い年月維持し続けながら、一流が一流であるからこそ、
世界中から愛されるブランドなんだなぁ、と思うと
手に取る重みがまたずっしりと感じられるようになりました。
おたからや大住ケ丘店では、皆様の大切なお品物を丁寧に見させていただきます。
またご相談もお気軽にどうぞ!
おたからや大住ケ丘店
京都府京田辺市大住ケ丘3-8-2
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